宮下典子隊員の日誌

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2008年3月8日

最北の村グリスフィヨルドへ

朝8時半、グリスフィヨルドに向かうケンボリック・エアーのツインオッター飛行機の中で、小さな男の子が泣いている。空港でレゾリュートに残るお父さんと別れたのが淋しくて、声をはりあげて泣いている。他の二人の兄弟は、おとなしく窓の外を見つめている。お母さんは、ただその子を、あたたかそうなイヌイットの衣装に包まれたふくよかな胸に抱きしめて、何も言わない。

乗客はその母子、私、私の前に座ったグリスフィヨルドに帰るという若者の6人。飛行機の準備が整うまで、ずい分長い間オシャベリをしていたのに、まだ名前を聞いていないことを思い出して、彼の肩をたたいた。「ねえ、名前を教えてくれる?」というと、「ジミー、ジミングワだよ」といって、ニコッと笑った。「私はノリコよ」というと、ふむっという顔をして、「ノリコっていう名前の人に会ったのは初めてだよ」と言う。「私も、ジミングワって名前の人に出会ったのは初めてよ。どうぞよろしくね。」と答えた。

グリスフィヨルドは、村の後ろに山がそびえている。飛行機は大きく弧を描きながら村の上空に入り、山にまっすぐ追突するのかとヒヤッとした瞬間にぐるりと急旋回して着地した。するとジミングワが後ろにくるっと振り向いて、「グリスフィヨルドにようこそ!」と言った。

宿泊するグリスフィヨルド・ロッジには、私以外に宿泊者いなし、COOPの運営する宿だから、そこに住んでいる人もいないので、私が一人で住むような形になるということをウェインから聞いていた。3週間くらい前にEメールで宿泊することは伝えていたけれど、返事はないし、電話をしても応答がないので、大丈夫なのかという一抹の不安もあった。小さな空港には、出迎えの人らしい人も見当たらないので、話しかけやすそうな女性に声をかけてみた。「COOPで働いている人をしりませんか?」 「私です。」とその人が言った。
これだから極北の村は嬉しい。
その女性、ティーヴィTeevi)と一緒にロッジのダイニングに入ると、ツンツンした短い髪、ふっくらと丸顔に、人の好さがにじみ出た満面の笑みを浮かべた、白いエプロン姿の女の子が握手で出迎えてくれた。彼女がいるだけでまわりがほっとするような、温かい雰囲気をもっている。
「私はポーリーヌ(Pauline)。コックです。」

その昼のランチから、ポーリーヌと私は、彼女のつくる美味しい料理を食べながら、他には誰もいないロッジの食堂で、ひたすらしゃべり続けることになる。よくもまあ話が尽きないものだと自分たちもびっくりするくらい、この村のこと、イヌイットの文化のこと、お互いの人生のことから好きな映画の話、なんでもない小さなことから、とっても心の深いところにしまってあるような、嬉しかったことや悲しかったことまで。

その夜ポーリーヌは、イヌイットの物語を聞かせてくれた。彼女は小さい頃から、年長者が聞かせてくれる物語が大好きだったという。

昔むかし、セドナという名前の、一人の母親がアマウティ(amaut:背中に子供を入れる袋のついた服:「ねんねこ)に似ている)を着て、赤ちゃんを背中の袋に入れてあやしていたら、同じようにアマウティを着たカルピルック(Qulupilluk)という海に住む怪物が、自分のアマウティに赤ちゃんをさらって海に逃げてしまった。母親は子供を取り戻すために海にもぐり、イッカククジラの背に乗って子供を探した。冷たい海の中を、縦横無尽に泳ぎ、探しても、探しても、大切な赤ちゃんは見つからない。そのうちに母親の長い髪がイッカクの体中にからまり、巻きついてしまった。イッカクの長い牙が、ねじれた文様のような姿をしているのは、そのときに巻きついた母親の髪の毛のあとなのだという。

ポーリーヌは小さいとき、海辺の氷の近くで遊ぶと、カルピルックに連れ去られてしまう、とよく言われていたそうだ。そういえば私も、夜暗くなるまで外で遊んでいるとオトウカという生き物に食べられてしまうと言われて、一人で帰る暗い道はびくびくしながら家路を急いだものだった。

ナヌク(シロクマ)の話はいろいろあって、ナヌクたちはイヌイットと同じように二本足で生活し、橇をつくり、イグルーという雪の家をつくることができて、アザラシを狩猟して生きているだと聞かされてきたという。それはイヌイットが、ナヌクを動物の中でもっとも強く、賢い生き物として尊敬していることによるのだということだ。

宮下 典子

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