2008年3月9日
3年前のパリで、たまたま手に入れた一冊の写真集がある。カリブー、シロクマ、北極キツネ、北極ウサギの毛皮の伝統の衣装を身につけたカナダの極北に住む人々が、セピア色の写真の中で、ゆったりとほほえんでいる美しいポートレイト集。そこにはアークティク・ベイ、コーラル・ハーバー、アービアトの人達とともに、グリスフィヨルドの人々が何人も登場していた。ここに来れば、この中の誰かに会えるかもしれない。冒険隊の補給の準備が目的ではあったけれど、こっそり秘密にしていたもう一つの期待が、威厳と誇りにあふれた写真の中の人々に出会うことだった。
昼ごはんの片づけが終わったところで、ポーリーヌにたずねてみた。「こんな写真集を持っているのだけど…」と言って、それを見せたとたん、彼女は驚きと懐かしさをこめて叫んだ。
「私のお父さん!」
カリブーの毛皮を着て、銃をつかんで、深い表情でじっと前を見つめる表紙の男性、ジャミリー・アキーアゴック(Gamilie Akeeagok)は、10年ほど前に亡くなったポーリーヌの父親だった。ページをめくり、グリスフィヨルドの人を見つけるたびに、これは私の兄、おじ、姉の夫、この人はどこどこの村に引っ越したというふうに、全員の消息を教えてくれた。よく見てみると、村に到着した日に出会って覚えた顔のいくつかも、約10歳若い姿で写っていた。
Karim Pholem "Uvattinnit" (極北の人々) 表紙のハンターがポーリーヌの亡き父親。
レゾリュートベイもグリスフィヨルドも、1953年のカナダ政府の移住計画で生まれることになった人工的な村だ。イヌイットはもともと定住することなく、よい猟場を求めて移動するキャンプ生活をして何世代も生きてきたのだが、1960年代頃から、村に住宅や学校がつくられたことによって、定住化は一気に加速するようになった。グリスフィヨルドは、北ケベックやポンド・インレットなどの各地域からの寄せ集めの8家族から始まったという。またそのために、グリスフィヨルドの言葉は、各地方の特徴が交じり合ったものになったということだ。ポーリーヌの父親はイグルーリック出身で、腕のいいハンターだった彼は、他の村から来た人たちに、雪の家のつくり方、石や鯨の骨・動物の皮を使った家の作り方、狩猟の仕方を教える役割を担っていたという。
静かな日曜日のグリスフィヨルド
小さな教会 日曜日の夜7時にサービスがある。毎週大体、10人くらい出席するらしい。
しんと静まりかえった日曜日のグリスフィヨルドを、ポーリーヌの案内で一周した(あっというまに終わった)。村に一軒の店も、学校も、役所も、どこもかしこも閉まっているので、道を行きかう人も見当らない。彼女が一人暮らしをしている家に遊びに行くと、部屋の壁に「火星プロジェクト」の写真を見つけた。グリスフィヨルドの南にあるデボン島(Devon Island)では、その寒冷な気候と砂漠のような地勢が火星に似ているということで、火星探索のための訓練や実験が行われていることは、レゾリュートで聞いて知っていたが、ポーリーヌもこのプロジェクトに関わってきたらしい(Haughton‐Mars Project)。デボン島は、世界で一番大きな無人島。グリスフィヨルドの人々にとっては、よくカリブーやシロクマのハンティングにも訪れる場所でもあるという。
ポーリーヌの作品。冬長いので、部屋の中でできる趣味は大切。他にも編み物をしたり、写真やイラストを使ったスクラップブックを作ったりするのが趣味。
今のところ、地球以外の星で、生命が存在できる可能性があるといわれているのが火星。NASAやCSA(カナダ・スペース・エージェンシー)による、人類の最先端の叡智を結集させるような壮大なプロジェクトと、伝統的なイヌイットの生き方。この二つ、まったくかけ離れているようで、そうでもない気もする。イヌイットは何千年もの間、生きるため、家族を養うために砂漠のようなツンドラを旅し、海を渡り、何世代にもわたる長い旅を続けてきた。宇宙を目指す人類のフロンティア精神と、通じるところがあるように思う。地球温暖化というテーマをたずさえて、イヌイットの暮らしをたずねて、最北の村グリスフィヨルドまで来てみたが、ここで地球以外の星での生命のあり方を探るプロジェクトに出会うというのも、なんとも奇妙なめぐり合わせではある。
イヌイットの歴史は、荘厳な大聖堂も寺社も、巨大な墳墓も残していない。世界遺産に登録されるような遺跡と、イヌイットの文化は何のかかわりもない。イヌイットが存在してきた形あるしるしといったら、ほんの少しの住居の跡があるくらいだ。イヌイットは驚くほど謙虚に、ありのままの自然に溶け込んで暮らしてきた。必要な分だけをとりながら、厳しい極北の地で生きる知恵と技術を磨いてきた。自然と絶妙な均衡を保ちながら生きることが、生き残る唯一の方法だということを知っているから。
その日の夕暮れ
イヌイットの土地で、イヌイットの言葉を話し、狩をし、自然の恵みを得て生きている彼らがいること。今日も、これからも、そうやってイヌイットが生きていることそのものが、どんな遺跡を守ることよりも、記念碑を建てることよりも、すばらしいことのように思う。窓から静かに凍った海を見ながら、これからの地球の気候がそれを許してくれることを、願わずにはいられなかった。
宮下 典子