2005年2月24日

ケン・ボレック・エア

今日は、久し振りにすっきりした青空と太陽を見た。太陽は、やや高く昇るようになり、だいぶ明るい光を放つようになった。 気温は−25度。村の人びとは、会うたびに「今日は暖かいし、いい天気だね」という。−25度で、みんなご機嫌である。

非常に気持ちの良い日だったが、ホバートは熱を出して寝込んでしまって、部屋から出ることはなかった。 28日に出発する予定なのでとても心配であるが、今日は1日中ぐっすり寝ていたようなので、明日はだいぶ回復しているだろう。 大場さんも、過去の冒険前には直前になると40度程度まで熱を出したようである。 それは、極度の緊張からきていたらしい。そして、出発後2週間は何も食べる気にならなかったという。 極寒の中を徒歩で移動しているのだから、相当の体力を消耗しているはずである。 それほど、極地での冒険というのは、精神に大きく影響を与えるのであろう。

午後から、大場さんと私は、ホテル・マネージャーのルーカスにレゾリュート空港へ連れて行ってもらった。 28日に遠征隊が、ここレゾリュート(北緯74度)から、ワード・ハント島(北緯83度・カナダ最北端の島)までチャーター機で移動する予定なので、 その細部打ち合わせのためであった。

地球北側のヘソ(北極点)まで約770kmのワード・ハント島付近は、 今月26日までは全く太陽が昇らず、27日になってようやく日が昇る。 滑走路がないので氷の上に着陸するには、海氷の凹凸を見るための日照時間も加味しなければならない。

応対してくれたミッキーさんは、遠征隊が海氷を徒歩移動中に万が一、 何か起きた場合の非常事態プランをいくつも練るようにすすめてくれた。 遠征隊は、衛星電話・予備のバッテリー・更にそれらを充電するためのバッテリー・緊急信号発信機PLBなどを持参する。 しかし、それらの機械類は、海に落ちた・低温すぎて作動しなくなったなど、使用不可能になる事態はありうる。 そこで、村の緊急信号発信機を一機借りることにした。

右からケン・ボレック・エアのミッキーさん、大場さん、ホテル・マネージャーのルーカス

小林丈一    


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