ステパン捜索
明日は天候も良く、いよいよワード・ハント島へ飛べる気配だった。
みんなの士気も上がっている。
朝から、ステパン(ロシア隊員)が「トレーニングを兼ねて装備チェックと写真を撮って来る」と、
ホテルを出て行った。しかし、そのことを知ったホテル・マネージャーのルーカスとウェインは、
「ライフルは持ったのか?ペッパー・スプレー(クマ用の催涙スプレー)は?」という。
ホヴァード(ノルウェー隊員)と私は、慌ててライフル、ペッパースプレー、衛星電話を持って、
スノーモービルにまたがった。乱氷帯に目を凝らして、ステパンの姿を探した。
走行途中、やっとスキーのトレース(跡)を見つけた。それを追う。
しかし、雪の上に残る小便の黄色い跡を見つけると、そこから先は何の跡もついてない。
360度見渡しても、何の跡も確認できない。ホバートと顔を見合わせる。
シロクマにもう食べられたか?あれ?まるで、狐につままれたようだった。
よく見ると、スキーのトレースは、同じトレースの上をきれいに重なって戻っている。
しかし、我々は来る途中ステパンとはすれ違わなかった。
起伏に隠れて見えなかったのだろうか?
まわりは乱氷だけで、ライフルを試射するには良い条件だった。
ホヴァートが撃った。続いて私が撃ったが、撃鉄が弾をたたかなかった。
つまり不発である。残念。私の腕の問題ではない。
実は、ホヴァート・ステパン・私の3人は、国は違うが陸軍(私の場合は陸上自衛隊)出身で、
全員が落下傘部隊にいた。更には、全員が予備役(私の場合は即応予備自衛官)で、
今でも訓練に召集される。冷戦時代、日本はロシアを仮想敵国としていた。
当時は、ロシアと日本の予備役・予備自衛官同士が、外国で一緒に行動するなどありえなかった。
ホヴァートと私は、すぐにホテルへ戻った。
さすがノルウェー人のホヴァートは、スノーモービルに乗りなれている。
帰りは、横目を振らずにとばしてて帰った。
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右手に持つのがライフル
このライフル・ケースは、ホヴァートがミシンで縫ったもの
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ホテルに着くとステパンは戻ってきており、食事をしていた。
何もなく、無事に帰ってきていて良かった。
ところが、私の足の指先が凍傷の一歩手前のような状態になって、真っ赤にむくんでしまった。
湯船にぬるま湯をはって、しばらく足をつけておいた。
最初は顔がゆがむほど、指先に痛みを感じた。
でも、大場さんに対処法を教えてもらったので、
今は無事に椅子に座って日誌を打っているところである。
明日のフライトも中止になった。低気圧が、動かずに停滞しているためである。
しかし、大きな情報があった。
チャーター会社のケンボレック・エアが、スポンサーになってくれることになったのだ。
レゾリュート・ベイからワード・ハント島までのチャーター便である。
これは大きい。遠征隊が出発してからしばらくすると、私が遠征隊へ補給に向かうので、
その往復便もなんとか協力してくれることを願う。
小林丈一
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