2004年4月15日

アビア

アビアは、11才になる近所の子供だ。去年のクリスマスに、 たくさんの子供たちと一緒に歌を歌いにアレカの家にやってきたのが始まりで、 それからは毎日のように、遊びにやってくるようになった。アレカは、アビアがどこに住んでいるのかも知らないし、 彼の両親とも面識がない。 アビアはアレカが好きで、アレカもまた、アビアのことが好き、ただそれだけが二人をつないでいる。 こんな風に、近所の子供が、ふらりと遊びにやってきては、食べたり飲んだり、テレビを見たり、おしゃべりをしたり、 ということはグリーンランドでは、めずらしいことではないらしい。


アビア。ひかえめでやさしい小さな紳士。

アビアに出会ってから、アレカはグリーンランドの子供のおかれている状況について、より深く考えるようになったという。

グリーンランドには、2つの新聞があり、一つはATUGAGDLIUTIT(アトゥワガヒューティット、週2回)、 もう一つはSERMITSIAK'(サーミチヤッカ、週1回)。両紙共に、カラー写真が豊富で、読みやすそうな紙面。 ちなみに、世界はじめて新聞にカラーを使ったのは、グリーンランドだそうだ。


グリーンランドの新聞 SERMITSIAK'。

先週のトップ・ページの記事は、子供の問題を取り上げていた。「親に放っておかれる子供」の特集がくまれ、関連記事がいくつもあった。 いわゆる育児放棄の原因のトップは、アルコール依存症。アルコール、薬物はグリーンランドだけでなく、どこの国でも共通の問題だが、 新聞には、全国で60人の子供が、実の親と別居し、施設や里親に保護されることになったと書いてあった。 60人という数字は、グリーンランドの人口(56,000人)からすると決して少ない数ではない。でも、これはまだまだほんの氷山の一角で、 社会からのサポートが必要な子供は、もっと、たくさんいるはずだという。

カコトックは、グリーンランド一、一人あたりのアルコール消費量が多い町だという。 給料日のあとには、道で酔った人をたくさん見るそうだ。

グリーンランドでは、何か自分の考えを言うとき、「もし、私が首相だったら・・・」という前置きを使うのをよく聞く。 「アル中の患者に、生活保護のような形で一週間分の生活費を支給しても、アルコールを買ってしまえば、 あっという間になくなってしまう。政府は、支給はしても、その後のチェックをしていない」
「もし、私が厚生大臣だったら」と、アレカは続けて言った。「アル中で生活保護を受けている人は、アルコールが買えないように、 購入できる食料や生活用品の明細を記して、身分証明も必要なクーポンを作るわ、そのくらい徹底しなければ、問題は解決しないわ」 グリーンランドでは、かつて、アルコールをクーポン制にしていた時期があったが、結局アル中の人は、 酒のクーポンを他の人から貰ったり買い取ったりしてしまい、うまく機能しなかったらしい。

「たとえ、アルコール問題の解決、システム作りに多くの予算を費やしても、それは長い目で見れば絶対に返ってくる。 子供が安全に育てられ、教育を受け、自分の可能性を見つけることができる環境を作ることが、国づくりの基礎だから」 「私が文部大臣だったら」とアレカは言って続けた。「教師の給料を上げるわ。グリーンランドは教師の給料が低すぎる。 教師は大変な仕事よ。もっと教師という仕事の重要さを認め、弁護士なみの所得を保証すべき。お金がすべてじゃないけど、 いい教育を受け、広い視野と、能力のある人が教職を選ぶことが必要だと思うから」 アレカは、子供の時に出会った教師のおかげで、学ぶ楽しさを知ったという。


グリーンランドの将来について語るアレカ。

確かに、思い出してみると、とくに小学校時代の担任の先生の果たす役割は、とても大きかった。 小学校3年の時の担任は変わった先生で、しょっちゅう予定を変えては、私たちを教室の外に連れ出した。 きちんと授業をしない、ということで文句をいう親もいたほどだった。 あるとき先生は、長い黒板の端から端まで白いチョークでまっすぐな線を書いて、言った。 「これが地球の歴史。約45億年」 そして右のはじっこに小さな点を書いた。「これが人間の歴史。まだ始まったばかりなんだ」

教科書を使って教えてもらったことは、ほとんど覚えていない。 それなのに、地球の大きさと、人間のちっぽけさをはじめて知った、あのときの驚きと感動とともに、その日の教室の風景、 先生の来ていたジャージの色、午後の教室の日差しまで、くっきりと記憶に焼きついていて、いまでもはっきり目に浮かぶ。


ある日のランチ

昼頃、アレカの姉のスザーナがやってきた。

お昼にしましょうと言いながら、二人はつぎつぎと食べ物をテーブルへ運んできた。 ふり向いて見て、ぎょっとした。 ごろごろとした生肉のかたまりと、干した魚、クジラのジャーキーのランチが準備されていた。 赤い色をした肉は、アザラシの肝臓で、白い固まりは、アザラシの脂肪だった。 ナイフでそぎおとした半解凍の肝臓と、脂肪を一緒に食べている。 「ノリコ、口を開けて。ガッド・ブレス・ユー!(神のお恵みのあらんことを)」と、いたずらっぽくニヤリと笑いながら、 アレカが、肝臓と脂肪を一口、私の口の中に入れた。


冷凍庫から出してきたアザラシの肝臓。

ひやりと冷たさを感じたあと、トリュフ・チョコレートのように、口の中でとろけた。脂肪には、うまみがあって、 血の味のする肝臓の、いい味つけになっている。 ごま油と、粗塩(あらじお)と、にんにくがあれば、もっと楽しめるな、と思った。


アザラシの脂肪。うまみがある。

アレカとゲールの食卓は、グリーンランドの伝統食と、デンマークの家庭料理、料理好きの二人が、 旅や本でインスピレーションを得た創作料理(そうさくりょうり)と、いつもおいしく、多彩なメニューが並んでいた。 ワインを楽しみ、美しいクロス、質のいい食器、キャンドルの灯りを何気なく生活の一部にしているアレカが、 手を血で真っ赤にしながら、生肉を「ママット、ママット(おいしい、おいしい)」と食べている様子を見て、 グリーンランドの奥行きの深さを感じた。

ひょっとしたら、いつかグリーンランド初の女性の首相になるかもしれないアレカに(私はそれを願う、選挙権はないけど)、 この旅に、メッセージをもらえる?とお願いをした。

「氷床にいる二人は、孤独で、厳しいなか、前に進もうとしている。 二人は、誰にも会わないけど、この長い旅が、世界中のたくさんの人々をつなげる、チャンスになることを願うわ!」

    


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