再会/出会い
ヌークでグリーンランドの食物についての話を伺(うかが)ったペデルセン先生から、突然の電話をもらった。
たまたま仕事でウマナックへ調査に来たら、町の人から私がここにいることを聞いたので、連絡をくれたのだった。
しばらく前から長谷さんの足の具合が悪く、補給の前に、何かいい治療(ちりょう)方法はないかと探っていたところだったので、
さっそくペデルセン先生に相談してみた。するとさっそくウマナックの病院で薬を処方してくれることになった。
おまけに、必要なら氷床に同行してくれるとまで言ってくれた。本当に、必要なときに必要な人が現れてくれる。
人口はたった56,000人のグリーンランドなのに、途方(とほう)に暮れたり、孤独(こどく)を感じる暇がないほど、
人と人が近くつながっているように感じる。
「子供たちの家」
オーレ・ヨーゲン・ハメケンと知り合ったのは、ペデルセン先生の紹介だった。ペデルセン先生が、
「子供たちの家」のカフェミック(誕生日に人を招いてお菓子を食べるグリーンランドの習慣)に招待されているから、
一緒に行こうと誘ってくれたのが始まりだった。
「子供たちの家」の食堂。にぎやかな声が絶えない。
「子供たちの家」とは、親のアルコール中毒や虐待(ぎゃくたい)など、家庭に問題がある子供たち、
心に深い傷を負った子供たちが家族と離れて暮らす施設で、グリーンランドには全国で8カ所ほどある。
その中でも、ウマナックの「子供たちの家」の活動は、グリーンランドのみならず、
ヨーロッパのテレビやドキュメンタリー映画でも紹介されたほどで、その質の高さは群を抜いているという。
色つきの歯磨き粉で歯磨きの練習。
噂(うわさ)に聞いていた通り、一歩中に入ると、ぬくもりのある絵画や、オブジェ、
植物が置かれた居心地のいい空間が広がっていてた。いつまでもそこにいたくなるような、あたたかなぬくもりが伝わってきた。
オーレの妻のアンが施設長をつとめていて、特に心に傷を負った子供たちには、
安心して暮らせる清潔(せいけつ)で美しい空間が絶対に欠かせないという信念のもとに、
家具や調度品を整えている、とのことだった。
リビング・ルームの様子。
4才から19才までの、30人ほどの子供たちが暮らす、このウマナックの「子供たちの家」は、
「ICE SCHOOL(氷上の学校)」と呼ばれる独自の活動を行っている。10年前に始まったこのプロジェクトは、
海が氷る犬ぞりの季節(2月から5月)に、ハンターたちと一緒に、1週間から10日の狩猟(しゅりょう)にでかける。
一つのチームは8名から9名前後で、ほぼ同数の大人(犬ぞりを扱える地元のハンターなど)と子供で構成される。
ハンターたちと密着して過ごす数日間の中で、子供たちは、伝統的な漁猟(ぎょりょう)の技術、氷上で生きる知恵、
そして人間に対する信頼感、自信、グリーンランド人としての誇りを取り戻すことができると、オーレたちは信じている。
オーレは、この「ICE SCHOOL」の活動を行っていると同時に、
北極海沿岸25,000キロを小型のボートで航行する「Polar Passage(ポーラー・パッセージ)」というエクスペディションのメンバーでもある。
「Polar Passage」は、グリーンランド(2名)、ロシア(1名)、デンマーク(1名)の国際チームからなり、
1997年に始まり、毎年夏、北極海の氷が開く時期に沿岸の村々をめぐりながら、北極圏の人々や生活の調査をしているエクスペディションだ。
もし、十分な資金と装備が集まれば、今年の7月にまた航海をしたいのだと、目を輝かせた。
さらにオーレは、アメリカのチームとグリーンランド北部を犬ぞりで巡(めぐ)ったときに、グリーンランド最北の山、
つまり世界最北の山(標高約1,100メートル)に初登頂(はつとうちょう)した人物でもあり、その山はオーレの名にちなんで、
「ハメケン・ポイント」と呼ばれるようになったというエピソードも持っていた。
話の流れで、私がまだ犬ぞりを経験したことがないというと、ウマナックに来て犬ぞりをしなかったら、
ウマナックに来たことにならないといって、今夜の犬ぞりドライブに一緒に行こうと誘ってくれた。
1時間後に会う約束をして、犬ぞりに行ける防寒着(ぼうかんぎ)に着替えるために、いったん借りている家に戻った。
思いがけず、突然初めての犬ぞりドライブのチャンスがやってきた。楽しみで、ワクワクして、坂道でも、走らずにはいられなかった。
「This Cold Heaven」
氷のはった海を、二つの犬ぞりで走った。一つにはオーレと、オーレの娘ピッパルと、私が乗った。
もう一つの犬ぞりは、ウマナックでただ一人、女性で自分の犬とソリを持っているビアテが操(あやつ)り、
その友達のリスベットがその横に乗った。木でできたソリの上に、レイン・ディアーの毛皮をしき、
ベンチに腰掛けるように、横向きに座った。
オーレの犬とピッパル(10才)と共に。ベンチのように横向きに座る。
ピッパル。ウマナック生まれウマナック育ち。犬ぞりも氷の上を歩くのも自然体。
「ティティティティティ」と、オーレが犬たちに声をかけながら、犬たちと一緒に走り出した。ソリが滑り出し、犬たちのペースができると、
オーレがぴょんとソリに飛び乗った。スルスルと、空気を裂くように氷の上を滑っていく。顔に当たる風が気持ちいい。
最初はソリの上でのバランスの取り方がわからなくて、横にいたピッパルに抱きつくようにつかまっていた。
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夜8時。もう白夜(ミッドナイト・サン)が始まっている。
渋滞もないし対向車もない。信号もなければ車線もない。まるで空気の音が聞こえるかのような、犬ぞりドライブ。
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声とムチで犬たちを操る。
女性犬ぞりドライバー、ビアテが行く。 犬ぞりを初めて8年になるが、まだまだ練習中だという。
犬ぞりは、他のどんな乗り物とも違った。空気を感じ、犬たちの動きを感じながら、静かな氷の上を走っていると、
静かな興奮(こうふん)が、ふつふつとわき上がってくる。
ウマナック島のまわりを一周した。約25キロ、約3時間の犬ぞり体験。
オーレの友人のアメリカ人の作家、グレテル・エーリック(Gretel Ehrlich)の書いた『This Cold Heaven』という本がある。
直訳すると、「冷たい天国」と表現できるが、これは編集者のアイデアで、もともと彼女のつけたタイトルは「This Cold Comfort」だったのだという。
「冷たい安らぎ」というタイトルを、グリーンランドに魅了(みりょう)された一人の作家は、本のタイトルに選んでいた。
海氷と30センチも離れていない犬ぞりの上で味わう緊張と興奮、精神の落ち着きは、本当に、他の何にも例えられない。
この、地球と自分の命の鼓動(こどう)を感じる豊かな時間が、グリーンランドの文化の源なのかも知れない。
ウマナックの島をぐるりと廻(めぐ)る犬ぞりドライブを終えたとき、「ウマナックに来て犬ぞりを経験しなかったら、
ウマナックに来たとは言えないよ」というオーレの言葉に、心の底から納得(なっとく)した。
まさに「this cold heaven, this cold comfort」 犬たちの息づかいが聞こえる。
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