歌のプレゼント
約束していた1年生のクラスに行くと、わぁーと小さな子たちが集まってきた。
身体にぶら下がったり、背中にしがみついてきたり、動きがとても野性的だ。
驚いたのは「ノリコ!、ノリコ!」と、私の名前を覚えていたことだ。
「イヌ、イヌ」「オトウサンオカアサン」「イチ・ニ・サン」など、
先週教えた言葉をすっかり記憶していた。
ビアテは、私の名前を覚えるのに3日くらいかかっていたので、比べるのもなんだけれど、
子供の物覚えの良さに、あらためて感服した。
1年生のクラス全員と、2人の先生。 一人はデンマーク人、一人はグリーンランド人。
23人の子供たちが、床に座っていろんな歌を歌ってくれた。
手や指を使って歌う歌もあった。ビデオをまわしているときは、少し緊張していたけれど、
テープを止めて、私も一緒に歌うと、とたんに笑顔になった。
「バイバイ」「コヤナ(ありがとう)」。 写真はCDにコピーしてプレゼントした。
お礼として、「ちょうちょ」を歌った。これはタシーラクで、
佐紀子さんの娘さんの美雪と春美がとても上手に歌っていたのが、心に残っていたのだ。
「ちょうちょ、ちょうちょ、なのはにとまれ。なのはにあいたらさくらにとまれ。
さくらのはなの、はなからはなへ、ちょうちょちょうちょ、とまれよとまれ。」
簡単なメロディーなので、2回歌うと、子供たちもなんとなく覚え、ただたどしく、
おそるおそる、一緒に歌ってくれた。
どこから来たの?
リスベットのクラスにも遊びに来て欲しいといわれていたので、1年生の次は3年生の教室に行った。
3年生は、リスベットが大声を出さなければならないほど、やんちゃなクラスだった。
ここでも、地図を出してきて、日本を探した。リスベットが、私の顔と、
グリーンランド人の顔は似ていると思うかどうか聞くと、似ているという意見と、
似ていないという意見に別れた。
3年生のクラス。算数の教科書。
私が、蒙古斑(エスキモー・マーク)の話をすると、子供たちはどうして?どうして?と驚いた。
リスベットが、イヌイットの祖先は、遙か昔はアジアに住んでいたらしいと説明したあと、
ではどうやってグリーンランドまで来たのでしょうか、と子供たちに質問した。
「歩いてきた」、「カヤックで来た」、という意見の後、
「チンミサット(飛行機)!」と言った子がいた。
図書館。絵本コーナー。
授業が終わると、黒板に自己紹介のために書いた私の名前を、一生懸命、
ノートに写している子たちがいた。そして、紙を持ってきて、私の名前と、
自分の名前を日本語で書いて!と、に言ってきた。一人一人のノートに、書いても、書いても、
次々に紙が渡される。さらに、リスベットが名簿を持ってきたので、名簿の空いている欄に、
全員の名前を日本語で書いた。最後にリスベットの名前も書きたしたら、嬉しそうにした。
学校の図書館は、市民図書館をかねている。 コンピューターで調べものもできる。
6年B組
午後は、ビアテの担任する、6年B組に行った。
前回このクラスに来たときに撮った一人一人の写真に、
編集ソフトを使って日本語の名前を入れたものをプレゼントした。
ビアテと一緒に、一人一人のEメール・アドレスにも、メッセージと一緒に、
写真を貼付して送っておいた。先日休みだった2人の写真も撮影し、
あとでビアテから渡してもらうことにした。
写真を渡すと、恥ずかしそうにするブーディル。
この時間は英語の授業だったので、次の英語の授業のときには、
みんなで私に英語で手紙を書くことにする、といっていた。
「今、ホームページと電話で、日本の子供たちがグリーンランドのことを学んでいるので、
良かったら、6年B組のみんなから、グリーンランドのこと、ウマナックのこと、
自分の将来の夢など、伝えたいことをぜひメールで送って欲しい」と頼んだ。
最後にビアテが、「ノリコに何か質問はある?」と聞くと、
イヴァルという女の子が手をあげて、「またウマナックに帰ってくる?」とたずねた。
「インマカ(たぶん)、でもきっと、また来たいと思う」と答えた。
自分の名前だけでなく、友達の名前も気になる。
霧のためにウマナックの滞在が一週間のびたとき、
イルリサットのオーノに予定変更の連絡をしたら、
「ウマナックにもう一週間なんて長すぎるね!」と言われたし、
4月にナルサスアックで出会ったパイロットのアーネと電話で話したときも、
彼はウマナック出身なのに、「それは災難だったね」と言った。
その災難によって滞在することになった長すぎる一週間のおかげで、
知り合えた人たちが、たくさんいたし、「エドバルド・クルーゼ校」の子供たちは、
「オトウサン、オカアサン」「イヌ」「イチ、ニ、サン」を覚えた。
6年B組のクラス全員の写真を、ウマナックの海にペーストして、記念に渡した。
3年生の担任のリスベットが、とてもあたたかい言葉をくれた。
「子供たちは、きっと今日のことをずっと覚えているわよ。
子供の頃の経験は、どんな些細なことも、しっかり心に刻まれるものだから。」
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