ニャーコンネの学校にて
ニャーコンネに滞在中は、学校のコンピューターを使わせてもらった。
ヒューレット・パッカードの、最新型WindowsXPに、この村で出会えるとは思わなかった。
ニャーコンネの小学校は、7才から15才まで、全部で9人の子供たちが通っている。
9人の子供たちに対して6台のコンピューターが備えてあった。
低学年のクラスの教室は、コンピュータールームをかねている。 本棚の本は、貸し出しもしている。
クラスは、低学年と、高学年の二つのクラスに分けられていた。
17日、月曜日、私がニャーコンネを去る日の朝学校に行くと、低学年は「書き方」の授業。
高学年は歴史の授業だった。二つの班に分かれて、サイコロを使って双六形式で駒を進めながら、
グリーンランドの歴史に関連したクイズに答えていくという内容だった。
高学年のクラスは歴史の授業中。 クイズ形式で、グリーンランドの歴史を学習していた。
先生と、3人の子供たち。
学校と同じ建物の中に、教会があった。昔は、教会が学校もかねていたのだという。
誰もいない、礼拝堂。
カメラを向けると、はしゃがずにはいられない。
二人の先生と、9人の子供たち。
さよならニャーコンネ
オリョウたちのICE SCHOOLのボートは、依然として直らなかった。
ヌークから届く予定だった部品も、あと2日遅れるという連絡が入ってきた。
でも、この3日間、ずっと海には濃い霧(プヨッコ)がかかっていたので、
もしボートで出発していたとしても、漁は順調にはいかなかっただろうと、前向きに考えていた。
先に出発したウナトックからは、食べ物が底をついてきたので、近くの村からボートで運んでもらうか、
それが無理ならばニャーコンネに戻らざるをえない、という無線が入った。
ヨハネスが、鮫の軟骨から作ったボール「ナタッコ」を、水と一緒に瓶に入れて持ってきてくれた。
絶対日本に持って帰りたいと言ったら、少しでも長く保つようにと、数日間冷蔵庫に保管しておいてくれたのだ。
あとで、また2コ作ってくれたようで、4コのナタッコは、ニャーコンネの記念品になった。
昼前に、ウマナックからヘリコプターが到着した。
気がつけば、ウマナックを出てからもう1週間経っていた。
グリーンランドの「オフ・ロード」、ニャーコンネの滞在は、まさに予定外、予想外の出来事だった。
でも、何の偶然か、運命のめぐり合わせか、私はニャーコンネに来た。
ニャーコンネの水を飲み、山を歩き、村の人たちと一緒に、ロイヤル・ウェディングを祝ったりもした。
世界に、ニャーコンネがあることを、ずっと忘れないでおこうと思った。
ヘリコプターがやってくると、半数近くの村人が集まってくる。
ニャーコンネの村の人たち、イサク、ブーユ、アリバット、オリョウ。
ニャーコンネでのサヨナラには、とてもエネルギーが要った。
犬ぞりの仲間は、いつもジョークばかり言っていたのに、このときはどんな言葉も見つけられなかった。
でも、なんとなくサヨナラより「またね!」の方がふさわしい気がして、「タクース!」と言って別れた。
ヘリコプターが飛び立つ直前。 遠くから見守る犬ぞりの仲間たち。
4人の乗客を乗せて、ブルブルというプロペラの音とともに、ヘリコプターは浮き上がった。
手を振るみんながどんどん小さくなって見えなくなると、広い氷の海の景色が広がった。
犬ぞりで2日間かけてきた道を、ヘリコプターは、比べ物にならないくらい早いスピードで飛んだ。
その速さ感じていると、このグリーンランドの氷も、伝統の犬ぞりも、ハンターの精神も、
今にもこの世界から失われつつある幻のように感じた。
犬ぞりで、ニャーコンネまでやってきた旅の、すべての瞬間が、
氷のスクリーンに映し出される走馬燈のように浮かんできた。
空から、一週間前にできた私たちの犬ぞりの轍(わだち)を見つけると、我慢していた涙がポロポロ流れた。
空から見えた氷の海。 氷が溶け、今年の犬ぞりのシーズンは終わりをつげた。
一緒のヘリに乗っていたアニは、泣いている私をみると、私の手を触って、ポンポンとたたいたり、
おもしろい顔をしたりして、笑わせてきた。アニは、ウマナックに住んでいる娘や孫たちに会いに行くところだった。
隣にいてくれる人がいるというのは、いいものだなと思った。
ウマナックについたら、また忙しくなる。明日はもう、イルリサットに移動する予定なのだから。
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