イヌイットのはるかな旅路
カコトックのアレカに、いとこのドッテの他にもう一人、ヌークに行ったら訪ねるといいと紹介されていたのがリーシィだった。
「Kattaana(カターナ)」という店をやっていて、ヌークで有名な人だから、すぐにわかるはずよ、と言っていた。
ドッテの家を出てからバスに乗って市街地にやってきて、何気なく歩いていると、「Kattaana」という看板のかかった、
ペパーミント・グリーン色の、 かわいらしい店を見つけた。
中に入ると、にこやかに接客をしている女性がいた。それがリーシィだった。
自分のルーツ、イヌイットの歴史について語るリーシィ。
リーシィから聞かせてもらった話は、どれも興味深いものばかりだった。
まずは、高円宮(たかまどのみや)ご夫妻とグリーンランドの縁について。
以前高円宮がグリーンランドをご旅行されたときのコーディネートと通訳をしたのがアレカだったという話は、
アレカ自身から聞いていた。(昨年の高円宮の急逝(きゅうせい)は、
グリーンランドでも悲しいニュースとして取り上げられていたという。)
グリーンランドを訪問後、高円宮妃久子殿下は、『氷山ルリの大航海』(講談社)という絵本を執筆された。
それは日本語版だけでなく、グリーンランド語版、デンマーク語版、英語版にも翻訳されていて、
グリーンランドの氷床で生まれた「ルリ」という名の氷山が、南の果て、つまり南極大陸にいる氷の長老に会いにいく大航海を、
旅の途中での様々な生き物たちとの出会いを交えながら描いた、とても美しい本だった。
グリーンランドを出発して、南極へ向かうという「ルリ」の旅は、『地球縦回り一周』のルートとも不思議に一致していて、興味深かった。
高円宮妃久子殿下の執筆された絵本『氷山ルリの大航海』。
リーシィは、ロイヤル・グリーンランド(日本にグリーンランドのエビを輸出している水産会社)の関わりで、
日本を訪れ、東京、京都を旅行したり、晩餐会(ばんさんかい)に招待されたこともあるという。京都の秋の紅葉の美しさは、今も忘れられないそうだ。
リーシィやアレカは、世界中を旅するのが好きで、ヨーロッパはもちろん、ジャマイカやキューバでのバカンスも経験しているし、
インドや 中国へ行ったことがあるという。
グリーンランドに住む人が冬に南へ旅行するということは、相当な気温差を経験することになる。
エーゲ海のキプロスに行って帰ってきたら、カンゲルスアックとの気温差が60度くらいあって、さすがに驚いたという話も聞いた。
空を飛ぶ飛行機ができたおかげで(例えばボーイングなら平均時速900キロ)、数千キロ、数万キロ先の、
まったく気候も風土も違う地域へ、たいして時間もかからずに移動できてしまうというのは、
ほんの100年前には、まったく考えられなかったことだ。
イヌイットが、日本人と同じ祖先を持つモンゴロイドだという証拠は、赤ん坊のお尻のグリーンの蒙古斑(もうこはん)が証明している。
リーシィの瞳の色は緑色で形はアーモンド型、肌は白人の肌をしている。両親ともにイヌイットだが、
200年ほど前にたった一度だけデンマーク人の血が混じった名残(なごり)が、リーシィの身体には残っている。
それでも、彼女の二人の子供も、生まれたときに蒙古斑があったそうだ。息子は黒髪で黒い瞳、娘は茶色い髪で青い瞳、
同じ自分の身体から、全然違う顔が生まれてきたことに本当に驚いたという。
リーシィの母親は、孫のお尻に蒙古斑があるのを見つけたとき、「この子はイヌイットよ!!」と言って、
とても喜び、誇りに思ってくれたそうだ。
Amaat(アマト)と呼ばれる「ねんねこ」の一種。 大きなフードに赤ちゃんがすっぱり収まる。 1940年代、北グリーンランド。
当時使われていたクジラ猟の作業服(複製)。 まるで、宇宙飛行士の服のようにも見える。
1900年代の女性の帽子。
100年ほど前のイヌイットの若い女性たち。
カナダ北部からグリーンランドへ最初に人々が移住したのは、およそ5,000年から4,000年前だと言われている。
移住しては死に絶え、移住しては死に絶え、5度目くらいにようやく北部にテューレ文明として根を下ろすことができたのは10世紀頃で、
カヤックや犬ぞりを使うイヌイットの狩猟文化は、ここから始まったと言われている。
その後、徐々に西海岸、南部、東海岸へ移り住んでいったといわれている。
約500年前の親子のミイラ。 寒冷な気候のため、自然にミイラ化したという。 ウマナック付近で発見された。
カナダ以前のモンゴロイドのたどった道は諸説あるそうだが、東南アジアからロシアに北上し、
アラスカを通り、カナダへ移動し、グリーンランドに渡ったという説がある。ユーラシアが起源だという人もいる。
いずれにしても、長い長い遙かな道のりには変わりはない。
また同時に、脈々と受け継がれてきた、たくさんの祖先たちの人生の上に、現在を生きている私たち一人一人の命があることも、
どんな民族、どんな人種であろうと変わらない、共通の事実なのだ。
|