道に迷っても
私は、本当によく道に迷う。よく調べないで飛び出すのが悪いのだけど、
道に迷ったおかげで、思いがけない出会いがあったりするものだから、
なかなかこの迷子のクセは治らない。
ホテル・クルサクは、クルサクの村と空港の間にポツンと立っている。
周りには広い雪原が広がっているばかりだ。タシーラクで出会ったドラム・ダンスのダンサー、
アンナの家に行こうと思ってホテルで村への道を聞いたら、前の道をまっすぐだよ、といわれた。
それなら簡単だと思って出かけたら、どうも雰囲気が違う。人に道を聞こうにも人がいない。
何度か行ったり来たりしていると、ようやく人間に会うことができた。
クルサクの村。村中が知り合い同士。
前日に空港で見かけた若い男の子だった。イギリス英語を話しているな、
と思ったので記憶に残っていた。彼に道を聞いたら、まったく逆方向に来ていたことがわかった。
これがトム・エッグ・スティムソンとの出会いだった。
彼も一人で旅をしているというので、一緒にクルサクに行くことになった。
ホテルのピーターは「すぐだよ」と言ったけれど、雪深い道を2キロほど歩いた。
アンナは、村に着いたら電話をくれてもいいし、誰かに聞けばすぐわかるから、と言っていた。
最初、猟師のおじさんに聞いたら、あっち、と遠くの方を指さした。それに従ってしばらく進み、
また別の村の女性に聞いたら、岬から二つ目の黄色い家だとわかった。
ただ、「アンナ、どこ?」のような簡単な質問で、二人ともすぐわかってくれた。
トムと「村中が知り合い同士なんてすごいよね!ロンドンや東京では考えられないよね。
何年住んでても、アパートの隣にどんな人が住んでいるのかも、
いつ引っ越してきたのかも知らずに生活しているのにね」とお互いの暮らした大都会との違いを話した。
「でも、もしクルサクの村の人たちが、
何年も隣に暮らしながらお互いの顔もしらないロンドンや東京の暮らしを知ったら、
それこそ仰天(ぎょうてん)するだろうね、どっちが人間の暮らしとして普通なんだろうね」
と思いついたことを言ったら、トムも私も何とも言えない複雑な気持ちになってしまい、
黙ってアンナの家を目指してぬかるんだ道を歩いていった。
シロクマのルーム・シューズ
出迎えてくれたアンナのご主人のアービッドの足下に、目が釘付けになった。
彼の足が、爪のある白く毛むくじゃらの、シロクマの足だったからだ。
シロクマ男登場!
このアイデアを思いついてから手に入れるまでには、ずいぶん時間がかかったらしい。
なぜなら、シロクマが捕れると、毛皮は頭から足まですべて使って一枚皮の敷物か壁掛けにしてしまうから、
足だけを手に入れるのは非常に難しいのだそうだ。
しかも足のサイズが29センチあるアービッドの足に合うものを作るには、
大きなシロクマでなければだめだったからだ。
そのことを知っていた近所の友達夫婦が、
自分で仕留めたシロクマで狩り用のパンツを作ることがあった時、
そのシロクマの足の部分でルーム・シューズをつくり、アービッドの誕生日にプレゼントしてくれたのだという。
抜群のあたたかさと履き心地が気に入って、もう10年以上、
2回の修理をほどこしながら愛用しているそうだ。
グット・アイデア賞をあげたいアービッドのシロクマのルーム・シューズ。
家に遊びに来る子供の中には、アービッドのシロクマのルーム・シューズを見て泣き出す子もいるという。
シロクマ男だと思っている子供もいるらしい。
ベジタリアン・イン・グリーンランド
トムは、すぐにホテルに戻るはずだっけけれど、雪が降りはじめ、
天気が悪くなってきたので、私と一緒にアンナの家に泊まることになった。
その夜の夕食のメニューは、アザラシのゆでた肉と、アザラシの血のスープ、
魚のグリルだった。付け合わせに、カレー味のライスと、パンだった。
血のスープははじめて食経験する味。あえてどんな味かというならば、
「レバー」をスープにしたような風味だった。
近所の人たちも一緒の、にぎやかな夕ご飯。
アザラシの骨付き肉。柔らかくて、おいしいアザラシだった。
問題はトムだった。トムは魚も肉も食べないベジタリアン(菜食主義者)だからだ。
ベジタリアンがグリーンランドを旅行するのは、相当大変だろうと想像がつく。
イヌイットの伝統の主食は肉だし、野菜は輸入に頼っているので高価なうえ、
天候が悪く船が来ないときは、店から野菜が消えてしまうこともあるらしい。
肉料理が片づいたあと、食後にアービットがデザートを持ってきた。
ブラックベリーとリンゴのホイップクリームケーキだった。
「大丈夫!ノー・ミート、肉は入ってないよ!」といいながら、
トムのお皿にたっぷりと取り分けてあげていた。
ドラム・ダンス
食事が済むと、近所に住むアンナのドラム・ダンスの教え子、
ヨーコン(12才)とスサンナ(11才)が来てくれた。東グリーンランドの民族衣装に着替えて、
3人のドラムダンスが始まった。
アンナとヨーコン。
アンナの衣装はアンナ自身が、ヨーコンの衣装は彼の母親が手作りした。
アンナの衣装は子供を持つ主婦の衣装で、ヨーコンのは伝統のアノラック。
ドラム・ダンスのドラムはシロクマかセイウチのお腹の皮を使う。
ヨーコンとスサンナ。 二人ともとてもいい感じで、上手だった。
スサンナの衣装はアンナが手作りした晴れ着
ドラム・ダンスの時は、みなアザラシの皮で作ったカミックをはく。
ドラム・ダンスとは、歌、踊り、ドラムのリズムの組み合わせで、
イヌイット文化圏では広く見られる(地域ごとに様式の違いがある)。
しかし、今もその伝統文化が継承されている地域でも、
ドラム・ダンスができる人が数少なくなってきているそうだ。
ドラム・ダンスには大きく分けて3つの役割があった。
一つは、物語を伝える役割。文字がなかったイヌイット文化圏では、
祖先から伝わる物語や伝説は、暗く寒い冬の夜、世代から世代へ、ドラムの音とともに語り継がれた。
また、昨日はこんなことがあったよ、という日常的な歌も、
ドラム・ダンスの中にはあって、非常にバラエティに富んでいる。
二つ目は、対立する二人の人間を調停(ちょうてい)をする役割。
村の人々が集まった集会所で、二人がドラム・ダンスの「決闘」をする。
より多く喝采(かっさい)を得てより多く人々を笑わせた方が勝ちとなる。
これは血を流さずに、争いを解決するというイヌイットの知恵だった。
三つ目は、呪術(じゅじゅつ)としてのドラム・ダンス。シャーマンが呪術をかけたり、
精霊(せいれい)と交信するときの道具として使われていた。
これはいわゆるブラック・マジック(人を呪ったり危害を与える力を持つ呪術)の一種でもあったので、
キリスト教が入っていた後には廃れて(すたれて)いった。
以上の三つの役割以外でも、子供たちの祭りなどで、純粋に歌と踊りを楽しむこともあったという。
特に東グリーンランドではその要素が大きかったらしく、他の地域に比べ、
キリスト教の牧師が眉をひそめることも少なかったので、
ドラム・ダンスの伝統が生き残ることができたのだといわれている。
アンナの家は代々ドラム・ダンスを継承してきた家系だった。彼女の祖父はシャーマンだった。
祖母も、父も、母も、ドラム・ダンスの名手だった。しかし、彼女は10年前まで、
一度もドラム・ダンスを踊ったことがなかったという。父が亡くなり、その後母も亡くなると、
村で女の踊り手が誰もいなくなってしまった(ドラム・ダンスには男踊りと女踊りがある)。
村の人たちに強くすすめられ、両親が残したテープをもとに、
独学でドラム・ダンスを学びはじめたのが1994年。アンナが52才のときだった。
それでも、小さいときに見た両親の歌声と姿が記憶に残っていたので、
マスターするのはそれほど難しくはなかったという。
アンナの祖母。ドラムダンスの名手だった。
アンナの祖父、Kuuitse(クーイッツェ)。
シャーマンだった。胸には、狩りで負傷した傷がある。
ある時、7才の少年が、アンナのところにドラム・ダンスを教えて欲しいとやってきた。
アンナは自分は女踊りしかできないといって断った。
それでもその少年はあきらめずに3度もやってきて頼んだので、
とうとうアンナは承諾し、父親のテープを探し出し、少年に教えはじめた。
少年に教えながら、自分も男踊りを覚えていった。
大きくなったその少年、ヨーコンは悲しいラブ・ストーリーのドラム・ダンスを披露してくれた。
グース(ガチョウ)に恋をしたレイブン(ワタリガラス)の物語だった。
夏に出会って恋に落ちたレイブンとグースだったが、冬が来る前にグースは南に渡らなければならなかった。
グースが去ったあと、レイブンもグースのあとを追って海を渡ろうとしたが、
海を渡る翼を持っていないレイブンは、何度も何度も冷たい海に落ち、
とうとうおぼれて死んでしまったというストーリー。ヨーコン自身がレイブンとなり、
切なく歌い、溺れる苦しさを踊りで表現していて、すばらしかった。
アンナは、ヨーコンとスサンナ以外にも二人の子供にボランティアでドラム・ダンスを教えている。
そうしなければ、クルサクから伝統のドラムダンスが消えてしまうからだ。
アンナの一番好きな歌は、クルサクの自然を歌った、静かな美しいメロディーの一曲だという。
深谷小学校との電話交信中のアンナ。
遠く日本の子供たちに向けて、イヌイットの心を歌った。
「高くそびえる山の向こうから、日が昇ってきた。麓(ふもと)はまだ霞(かす)んでいる。
この景色を見ると、私の胸は喜びであふれます。私は、とても幸せです。
この景色の中にいる私は、とても幸せです。」
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