トレッキング・メモ
カンゲルスアック空港のすぐ裏には、トレッキングにちょうど良い小高い丘がある。下から見上げると、
簡単に登れそうに見えたが、実際に坂を登りはじめてみると、なかなか頂上に着かない。モハメッドの後について、
もうほとんど雪が溶け、枯れ草や岩がゴロゴロしている斜面を、一歩一歩ゆっくり登った。
夏が過ぎる頃に綿毛になるという植物。赤い色が鮮やかだった。
途中には、レイン・ディアー(トナカイ)のフンや、骨まであったが、姿は一匹も見えなかった。モハメッドによると、
レイン・ディアーは、雪を掘って、雪の下に隠れている新鮮な草を食べるので、雪がとけて地面が見えている場所には、もういないのだそうだ。
レイン・ディアーのフン。まだ新しいもの。
レイン・ディアーの脚の骨。
鷹(たか)に、きれいに食べ尽くされ、骨だけになったレイン・ディアー。
レイン・ディアーは雪が凍ってしまっては食べ物を掘り起こせないし、雪がとけてしまっても、新鮮な食べ物が得られず、
飢えてしまうという。気候の変化がレイン・ディアーの個体数にも影響を与えていると聞いた。
温暖化で雪が早くとけてしまうと、エサがなくなってしまうからだ。
夏になると、丘中にベリーが実る。レイン・ディアーも、ジャコウ牛も、北極ギツネも、北極ウサギも、鳥たちも、そして人間も、
貴重なビタミンやぎっしり詰まった栄養を、ベリーからたっぷり補給する。ベリー類は、グリーンランドで採れる唯一の果物だから、
夏のベリー摘みは人々の楽しみらしい。夏に摘んだベリーは、そのまま冷凍したり、ジャムにしたりして、一年中味わえるようにしている。
丘の頂(いただき)に着くと、カンゲルスアックの町をすべて見渡せた。遠くには、大場さんと長谷さんのいる氷床も見えた。
夏はこの絶景を楽しみながらバーベキューをすることができるらしく、積み上げられた石のカマドがそのまま残っていた。
丘の上から見渡したカンゲルスアック。
氷床から流れてきた河。左奥に見えるのが、氷床。 ジープで氷床の入り口まで行くこともできるそうだ。
トレッキングの間、何度も2羽のレイブン(ワタリガラス/渡り烏/タビガラス)が頭上を舞っていた。
レイブンは大型のカラスで、イヌイット文化圏ではなじみの深い鳥だ。アラスカでは、
世界を創造したのはレイブンだという伝承もある。最初、暗闇にいたレイブンが太陽を造り、
植物や動物、人間を造った、と語られているそうだ。
アスファルトではなく、土の地面だったせいか、3時間歩いても全然疲れず、気分は爽(さわ)やかだった。
そして、遠くアフリカのスーダンから来たモハメッドと、日本から来た私が、
北極圏のグリーンランドの丘の上に二人で立っているなんて、なんとも不思議な気分だった。
日向のほうは雪がとけているが、日陰にはまだ雪が積もっていて、 歩いていると、突然ズボッと50センチくらい足が沈むこともある。
モハメッドの頬(ほお)の傷は、11才の時に自分でモグリの医者に頼んで刻んでもらったのだという。
この傷のせいで、親にはひどくしかられたし、学校にも入学拒否をされたそうだ。ヨーロッパにいると、
「アフリカの王様ですか?」と聞かれることがよくあるが、そのときは冗談で「そうだ」と、答えておくと言っていた。
ドクター・モハメッド。
グリーンランドは、医者が常に不足しているそうだ。医者になるための教育機関がグリーンランドにはないので、
デンマークで学ばなくてはならないし、さらに数年間のデンマークでの臨床(りんしょう)経験がないと、
グリーンランドで働くことはできないそうだ。モハメッドは、狩猟の最中の怪我から精神病まで、
あらゆる病気を診察する(ちなみに、グリーンランドは、薬も含めて医療費はすべて無料)。
歩きながら、モハメッドとたくさんの話をしたはずなのに、なぜか断片断片しか覚えていない。
でも、歩いているときの落ち着いた気持ちと、モハメッドの、
生命あるものすべてに向けるまなざしの優しさに快く打ちのめされた感動は、しっかりと心に残った。
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