消えゆく伝統工芸
ドラム・ダンスの少年、ヨーコンの祖父デュルワは、
東グリーンランド伝統のマスクを彫る職人で、アンナの家の隣に住んでいた。
アンナの息子のベンディに通訳をお願いして、デュルワに話を聞くことが出来た。
デュルワは16才のときに彫り師のヌカのもとで修行をはじめた。
全部の行程を自分でできるようになるまでには、丸6年かかったそうだ。
デュルワの作ったマスク。 左が男性。右の頭に髷(まげ)を結っている方が女性。
魔よけの意味を持つマスク。 昔は、祭りでマスク・ダンスというものがあったが、 キリスト教が浸透してからは禁止された。
マスクに使う木材は、
海からの流木でなければならない(流木はやわらかいので彫りやすい上、割れにくい)。
それを乾かして、マスクの大きさに切り、ノミで刻み、ヤスリをかけ、色を塗る。
仕上げに顔のラインをきれいに彫り込んで出来上がりとなる。
黒い塗料は、昔はアザラシの脂肪と灰を混ぜたものを使っていたが、今は黒い化学塗料を使っている。
理由は、アザラシの脂肪を使うと、半年もすると白木が赤く変色してしまうのと、
壁にかけたときに塗料が白い壁にシミを作ってしまうからだという。
デュルワの道具。すべて手作り。
マスクの他に、東グリーンランドの伝統工芸には、美しい装飾が見事な木のバケツがある。
釘を一本も使わない寄せ木細工で作られた、水を入れるバケツだ。
バケツの側面には、クジラの骨で出来た小さな人間や魚、船の飾りを施すそうだ。
しかし、80年代に世界で捕鯨反対運動が起こった後は、
装飾に使うクジラの骨を手に入れることが難しくなってしまったという。
デュルワが、近辺の村を探しまわって、
ようやく一本だけ手に入ったというクジラのアゴの骨を見せてくれた。
ずっしりと重く、6、7キロはある。
切手にもなっている東グリーンランドのバケツ。 4つの木を組み合わせて作る。
左が木で出来た「型」、右はクジラの骨。 型どりをしてから、魚の形に彫っていく。
75才になる高齢のデュルワには、足を棒にしてクジラの骨を探すことも、重い骨を運ぶことも、
だんだんしんどくなってきている。最近、手の方も震えるようになってきた。
あと、2年くらいしたら、もう作業ができなくなるだろうという。
今、制作中のマスクを仕上げたら、次は、ようやく手に入ったクジラのアゴの骨を使って、
家族の女性たちのために、装飾を施したジュエル・ボックス(宝飾箱)を作るそうだ。
東グリーンランド伝統のマスクを、手彫りの昔ながらの方法で作れるのは、今はもうデュルワしかいない。
もう一人がいたが、年を取ったため、もう2年以上彫っていないのだという。
以前、習いたいという若者が一人いたが、数週間でやめてしまったそうだ。
デュルワ。日本で言えば人間国宝だろう。
伝統文化、伝統工芸の衰退はグリーンランドだけの問題ではないが、
失われつつある現場に直面すると、さすがに身につまされるものがある。
異文化コミュニケーション
ベンディが、一緒に、スネイル(snail)を捕りに行くか、と私とトムを誘った。
スネイルとは、英語でカタツムリのことだ。ベンディは、
新鮮な生のスネイルをぶつ切りにして食べると最高においしいと言う。
ベジタリアンのトムは信じられないという顔をしている。
さすがに食べ物の好き嫌いのない方だと自負している私も、生のカタツムリは、
よほど飢えていない限りは、食べ物だとは思いたくない。
でも、どうやって捕まえるのか興味があったので、ベンディの後をついていった。
氷の張った海の上を歩き、氷の際までくると、
背丈ほどある大きなキリのような道具でトントンと氷を突き、厚さを確かめる。
そして氷の下に仕掛けてあった網を引っ張り上げるた。
取れた獲物をつまみ上げてベンディが、ほら、スネイルだよ、と言った。
それはカタツムリというよりは、タニシに似た形の巻き貝だった。
仕掛けた網でスネイルをすくい上げる。
「中くらいの大きさのがおいしいんだよ」と言うベンディ。
ホテル・クルサックに戻ったあと、夜、トムと食堂でおしゃべりをしていると、
ホテルの手伝いをしている少年、ミキリがやってきた。一生懸命何かを私たちに伝えようとしている。
私たちはほとんど言葉が通じない。ミキリが一緒に来て!と手招きをして、
私たちをトイレの窓際に連れて行った。静かに!と指で口を押さえながら、窓の外に何かがいるよ、
という仕草をした。すると、
ミキリが思い出したようにひそひそ声で「ポーラー・ベア!ベイビー・ポーラー・ベア!」と言った。
ポーラー・ベアといえばシロクマのことだ。トムと私は一気に興奮して、必死にポーラー・ベアを探した。
もうその辺りにはいないようなので、食堂に場所を移して、双眼鏡で雪原にポーラー・ベアを探した。
私とトムが見ても見つからないのに、ミキリは、ベイビーが2、ママが1、遠くの工場の前にいるという。
でも、いくら探しても、トムと私には見つからない。
窓からポーラー・ベアを探すトムとミキリ。二人とも16才。
ミキリは、ママがこのくらいで、ベイビーがこのくらいだよ、と手で大きさを説明した。
シロクマにしては、ママの大きさがどうも小さいような気がする。
階下に行き、フロントの壁に掛かっていたシロクマの全身の毛皮を指して、
これがポーラー・ベアだよね?とミキリに言うと、「ノー!ノー!」といって、
反対側の土産物ガラス・ケースの中のグレーの毛皮を指さして「ポーラー・ベア」と言った。
それは、どう見ても、「アークティック・フォックス(北極ギツネ)」だった。
ミキリ。「間違えてゴメンね!」
3人で、この勘違いを大笑いした。ミキリは恥ずかしそうに笑っていた。
そのあと、言葉の通じない3人は、絵や、ジェスチャーや、
「旅人のためのグリーンランド語」という本を使って、なんとか少しだけ会話をすることができた。
英語が母国語のイギリス人のトムは、どこへ行っても英語が通じてしまうから、
逆に外国語を勉強するのが難しいという悩みを話していた。だからトムにとって、
ミキリとたった一つのことを伝えるのに、数十分もかかるグリーンランド語の会話をしたことは、
とても貴重な経験になったようだ。
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