「コーヤナスアック」 ありがとう
アダムは英語を話さない。だから、本人に直接聞きたいこと、伝えたいことがあったら、
身ぶり手ぶり、知っている限りのグリーンランド語を使って、体当たりするしかない。
「あなたの、写真、あなた、新聞、書く、アユンゲラ?」
アユンゲラは、良し、good、という意味。
自信をもって発音できる数少ないグリーンランド語だ。
グリーンランドに来ていながら、ほとんどのコミュニケーションが英語で済んでしまうこと、
英語を話す人と過ごすことが多いことに、なんとなく罪悪感めいたものを感じはじめていたときに、
アダムに出会った。アダムは私に、グリーンランドを、ほんの一面だけから見ないようにね、もっとよく、
もっとじっくり見なさいね、という課題をくれたような気がしてならない。
やはり、現地の言葉、そのリズム、その呼吸を学びことは、とても大切なことだと思う。
言葉がわからない、通じない人にこそ、あえて向き合う必要があるのかもしれない。
5年くらい前、マダガスカルを旅した時、マダガスカルの言語(マラガシー)が、
全然わからなくて、私は、理不尽にもイライラして、なんだか周りの人がみな敵のように見えたりしたことがあった。
寄る辺(よるべ)のない思いで、マダガスカル内陸のフィラナランツォアという、その美しい響きの名前に似つかわしくない、
ほこりっぽい町をフラフラ歩いていると、口笛の音が聞こえてきた。ソンブレロをかぶり、
茶色いマントで、やせた体をくるっと包むんだその男の口笛のメロディーは、大好きなミュージカルのメインテーマだった。
まるで夢でもみているような思いで、通り過ぎていったマントの男の後ろ姿を、いつまでも見ていた。
バオバブの木の下で(1998年、マダカスカル)。
その同じ曲はまた、今度はグリーンランドで、着いたばかりの頃に電話したオフィスの保留音として、
受話器の向こうから流れてきた。
世界は、「メロディー」でつながっている。
世界は、「大気」でつながっている。
世界は、「インターネット」でつながっている。
世界は、「人」でつながっている。
カッコの中には、いくつの言葉が入るだろう。
きっと、数え切れないくらい、たくさんのもので、世界はつながっているのだろう。
Thank you をやめて、「コーヤナ(ありがとう)」と言うだけで、笑顔が返ってくる。
「コーヤナスアック」 どうもありがとう。
「イッヒッルッ」 こちらこそ。
人間の土地
とうとう南グリーンランドを離れる時がやってきた。
一つの土地を離れる時は、いつも胸がいっぱいになる。
ほぼ3週間ぶりに、空からグリーンランドの白い大地を眺めた。
空から眺めるグリーンランドの白い大地。
氷床に向かうヘリに乗って、空からの地球を見て以来、何かが私の中で化学変化を起こした。
そして、その後たびたび、飛行士でもあった作家、サン=テグジュペリの視線を感じるようになった。
彼のメッセージが頭に浮かび、なんども、なんども、心に響いた。
人間は、互いに結びつくように試みなければならない、人間には、絆こそが重要なのだ。
|