2004年5月28日

今夜はごちそう

飛行機の移動が続いたためか、睡眠不足か、急激な気候の変化か、カーナークについたら急に身体がおかしくなった。 頭痛と肩こりと背中の痛みに襲われ、起きているのがやっと、というありさまだった。 ホテル・カーナークには、他の宿泊客はいないし、天気も風が強く、曇り模様だったので、静養のため、 ほぼ一日じっとしていた。身体がおかしくなったら、まず布団をかぶってゆっくり休養することが大事だと聞いたことがあったが、 その通りにしたら、夕方には大分回復して、食欲もわいてきた。


ホテル・カーナークに到着。空は暗く、風が吹きすさぶ一日。

トントンとドアをたたいて「ご飯よ!」と呼びに来たのは、ホテルのオーナー、ハンスの奥さんのベッチだった。 カーナーク版、肝っ玉母さんという雰囲気の明るいおおらかな人柄だ。ベッチが「夕ご飯は、アッパリアホよ!」といった。

「アッパリアホ!?キビヤック??」と聞き返した。 アッパリアホとは、この地方で獲れる20pほどの大きさの海鳥で、カナダで越冬(えっとう)し、 初夏にグリーンランド北部にやってきて、海岸の崖に営巣(えいそう)する。 何万もの、空いっぱいに舞うアッパリアホを網ですくい取るのが、最北の村の初夏の風物詩だ。 「アッパリアホ、ベッチが取ってきたの?」と聞くと、シオラパルクに住む娘さんが届けてくれたのだそうだ。 今シオラパルクでは、毎日、今が旬のアッパリアホを食べているそうだ。 これは、この時期、みんなが楽しみにしているごちそうなのだ。

キビヤックとは、アッパリアホを丸ごとアザラシの皮の中に詰め、数ヶ月発酵させたもので、 これは世界でここでしか見られない食文化で、獲物の少ない時期に生き延びるための保存食でもあったそうだ。 これを「くさい」と思うか、「やめられない」と思うかは人それぞれで、 ブルーチーズやくさやに匹敵する独特の食べ物だと聞いていた。 何か驚きのある味を求め続けている私にとって、キビヤックは、 どんなにクサくても、ぜひ試してみたい一品だった。

ベッチは、「違うよ、キビヤはクサいでしょ。 これは、アッパリアホのゆでたやつ」という意味のことを言った(ベッチとは英語がほぼ通じない)。 キビヤではなく、新鮮なアッパリアホだった。 見ると、お皿に黒い鳥が山盛りにもられていて、見た目には、かなりの迫力がある。 病み上がりの、景気づけには持ってこいのごちそうと言えるかも知れない。


アッパリアホ登場!

お皿に取ろうとすると、ベッチが、「やってあげるわよ」、といって、まるで服を脱がせるようにすべらかに、 するするとアッパリアホの皮をむきだした。身体の毛と皮を一緒に取り、最後に頭をポキンと折って、 白いお皿の上にちょこんと置いた。


豪快にわしづかみ。

胸肉の辺りの肉から食べると、血の味の濃い、コクのある味がした。 臭みもなく、ゆでただけでも充分旨味がある。 ベッチは私の分のアッパリアスの皮に「ママット」といってシャブリついている。 まずは、肉らしきものを全部食べたあと、どこが食べられるか聞いてみた。 ベッチは身体を割り、レバーがおいしいと教えてくれた。レバーの次は、頭を味わった。 毛を剥いでから、まず頭の周りの肉を食べ、それから脳みそをチュルチュル吸う。ほんのり甘みのあるエキスだった。


服を脱がせるようにスルスルとむく。


丸裸になったアッパリアホ。


皮にしゃぶりつくビッチ。

1羽を食べ終わったとたん、ベッチが2羽目をつかんで私に差し出した。 手をだしてアッパリアホにさわった瞬間、しっとりとぬれた羽根から、 生き物のなまあたたかさが伝わってきて、「ひゃあ!」と、反射的に手を引っ込めてしまった。 ベッチは、私の反応を笑ったけれど、それはなんともいえない感触だった。 結局、またベッチにむいてもらって、全部で3羽を平らげると、かなり満腹になった。

丸ごとの、顔のついた生き物に向かい合うと、その命を頂いている、という思いを抱かずにはいられない。 肉も、すみからすみまで、食べられるところはきれいに残さず食べることが、命を頂いた礼儀のような気がする。

アッパリアホを食べたら、ようやく少し、カーナークに受け入れられたような気分になった。 食べ物の力は大きい。食べ物は人と人、人を土地を結びつけてくれる。 この土地の人々の命の糧、季節の喜びを頂いたのだから、きっと、元気になれる気がした。


「食べることは生きること」
アッパリアホの命から、元気をもらう。


アッパリアホの危機?伝統文化の危機?

このアッパリアホは、個体数が減っているということで、政府が猟の時期を大幅に短くしたそうだ。 しかし、その年の気候の寒暖によって、アッパリアホの飛来する時期はズレるので、 例えば気候がちょっと寒いと、鳥が来る前に猟期が終わってしまうということもあり得る。 以前、佐紀子さんが、「鳥が絶滅の危機にあるのと、文化が絶滅の危機にあるのと、 誰が軽重を判断するのか、難しいですね」と言っていたけれど、これは本当に難しい問題だ。

ただ、アッパリアホは、この最北に住む人々が、自分たちの食卓で、夏を迎えるこの時期にはゆでたてを楽しみ、 また一方で保存食をつくってきたという類のものだ。 人口1000人足らずというカーナーク地方の人々が、アッパリアホを絶滅の危機に追いやるには、 相当な数を取らなければならないだろうし、手間暇もかかるだろう。

ここでの狩猟が原因で個体数が減っているのか、それとも越冬するカナダの環境に原因があるのか、 その特定もまだできていないそうだ。また、別の調査レポートでは、 グリーンランド最北部でのアッパリアホの数は充分にあると述べているものもあるそうだ。 (それにしても、どうやって数を数えているのだろう?)

このような、個体数が減っている鳥や動物、クジラ類についてのキャンペーンが、 グリーンランドのホーム・ルール主催で、去年(2003年)の8月まで、2年間に渡って行われていた。 「Tulugaq(トゥルクック)キャンペーン」(Information Campaign on the Sustainable Use of Living Resources:動物資源を持続的に活用するための情報キャンペーン)で、 この事務局は、グリーンランド中の町を訪れ、地元の猟師と対話集会を開いたり、 新聞、雑誌で動物資源についての調査報告を公開したり、テレビで討論会を開いたりしたそうだ。

ヌークで、このキャンペーンの事務局にいたヨーナさんにお会いしたとき、 キャンペーンが終了した今、思うことを聞いてみた。 「このキャンペーンによって、広く一般の人たちも動物資源についての見識を持つことができた。 そして、今まで余りにも遠い距離があった現場のハンターたちと、 科学者が同じ場で対話することができたことは、意義があったと思う。 今後は、ローカル・コミュニティ(それぞれの町や村)で、 引き続きこのような対話(公と現場の)を続けていけるような取り組みを模索中」だという。

    


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