変わるもの、変わらないもの
ナルサスアック最後のランチは、ヒューゴとベッタが用意してくれた。
ベッタのお父さん、近所の友達も一緒の、にぎやかなグリーンランド式ランチになった。
ゆでたエビ、干した魚、干したレイン・ディアー(トナカイ)の肉、干したクジラ肉、干したエビ、
マッタック(クジラの皮)、などなど。グリーンランドの伝統的な食べ物に干したものが多いのは、
天候によって何日も狩りができない時のために、つねに保存できる食料を確保しておく必要があったからだという。
大盛りのゆでたエビ。みその部分が特においしい。
干したクジラ、魚、レイン・ディアーの肉。
クジラの脂肪。EPAが豊富なので、体にいい。血液サラサラ食品。
脂肪は細かく切って、干した肉と一緒に食べる。
味はお好みで、塩、アロマ(コンソメ味の香辛料)、しょうゆなど。
噛みごたえのある、なんだか、酒のつまみみたいなメニューばかりが並んでいるなと思っていたら、
ふとベッタが、アダムはもう7年間、一滴もお酒を飲んでいないのよ、ときりだした。
アダムは7年前、アルコール依存症を克服するために、10日間、ヌークにあるアルコール更正(こうせい)施設、
カヒッフィック(Qaqiffik)に行ったそうだ。その10日間の後、アダムはそれまで浴びるほど飲んでいた酒を一切やめ、
今は、ホテル・ナルサスアックで運転手として働いている。
アダム。今はこんなにいい笑顔になった。
カヒッフィック(Qaqiffik)は、グリーンランドに二つ、ヌークとイルリサットにあり、
アダムによると、常時20人から30人のアルコール依存症患者が治療を受けているという。
ただ、施設での治療後も、また飲み始め、何度も家と施設を行ったり来たりしている患者も多いのだそうだ。
アルコールについての話題がもちあがる度に、日本はどう?アルコール依存症は多い?と聞かれた。
数はわからないけれど、割合はさほど多くないと思う、毎晩、仕事が終わったあとの楽しみで晩酌(ばんしゃく)をするのは普通だし、
飲んで酔っぱらう人も多いけど、施設での更正が必要なほど深刻なケースは少ないと思う、と答えた。
イヌイットには、もともと飲酒の習慣がなかった。習慣どころか、アルコール自体がなかった。
だから、ヨーロッパからアルコールが持ち込まれ、誰でも買えるようになったとき、
「文化」としての飲酒の習慣を持たなかった当時の人々は、まさに酒に飲まれてしまったらしい。
同時に、伝統的な狩猟に根ざして生きてきたイヌイット文化に、
近代文明がどっと押し寄せた移行期(1960年代頃から)には、その変化についていけない人々は、
その強烈なストレスと戸惑いの解消をアルコールに求めたのだという。
デンマークから技術者が大勢やってきて、彼らの流儀(りゅうぎ)で家を建て、道路をつくり、
電気、水道をひき、町を整備していった。そのとき、それまでは石を積み上げた家に住み、
狩猟を中心に生きてきたイヌイットの男性は、先端技術に長けたデンマーク人の前では、
自分たちが、まるで無力に思えたという。同時に、たくさんの女性が、デンマーク人と結ばれていったことも、
イヌイットの男性の誇りとハートを傷つけ、アルコールに向かわせる一つの要因になったという。
その後、移行期のショックも落ち着き、人々も飲酒の楽しみ方を覚えるに従って、
アルコール漬けになる人も減っていった(社会問題としては、やや形を変えながら、今も残っている)。
異文化の流入による混乱は、アルコールだけではなかった。
例えば砂糖。砂糖がグリーンランドに入ってきたとき、砂糖の味を知らなかった人々は、その甘さのとりこになった。
でも、歯ブラシが入って来るまでには、まだもう少し時間がかかった。だから砂糖が来て、歯ブラシが入ってくるまでの、
はざまの時期、虫歯は、ものすごい勢いで人々の歯を蝕んだ(むしばんだ)、という話だ。
東西約1万キロ、南北約6千キロにわたる北極圏で展開されてきたイヌイットの文化も、
20世紀後半(1960年代)から加速した、グローバル化の波と、無関係ではいられなかった。
飛行機によって人や物の移動、輸送が容易になり、電話網(でんわもう)、コンピューター・ネットワーク、
インターネットの普及によって情報の交換が活発になった今、金、人、物の世界規模の行き来は、ますます盛んになっている。
グリーンランドに来て、人々の暮らしを見たとき、まずはあまりの快適さに驚いた。
セントラル・オイル・ヒーティングの暖房で、部屋は暖かくTシャツ一枚で十分。デンマーク語に加えて、
英語を話す人は多いし、子供たちに人気の遊びはプレイステーション、メールつきの携帯電話は当たり前。
日本で見られる風景と、同じものがたくさんあった。
サッカーに夢中の男の子たち。 グリーンランドでも、サッカーは大人気。
スケートと自転車で遊ぶ女の子たち。 ゴム飛びのゴムのような物も持っていた。
一方、これから先、どんなにグローバル化が進もうと、変わらないものがあることも感じた。
広い国土の大部分は、厳しい寒冷な気候。
グリーンランドの人々は、食料の供給も、移動手段も、大きく自然環境に左右されざるを得ない。
天候が悪いと何日も飛行機が飛ばないということは日常茶飯事(にちじょうさはんじ)だし、
地球温暖化の影響で海が凍らず、猟師が狩りをできないという話も聞く(薄く不安定な氷の上からは、
銃でねらいを定めることができない)。
南の一部以外は、家畜の育たないグリーンランドにとって、アザラシやクジラ、
レイン・ディアー(トナカイ)、野鳥などの野生動物は、なくてはならない資源だ。
しかし、その大切な資源もまた、地球環境の変化の影響をうけ、個体数の変化が起こっているという。
人々のライフスタイルは、この40年で劇的に変化した。
そして、彼らの、伝統的な狩猟文化をささえる自然環境も、変化し始めている。
それでも、グリーンランド人が、今までも、これからも、この大地に根ざし、
海からの恵みをうけて生きていくことには変わりがない。
それだけは、どんなに世界がグローバル化しても、決して変わらないことだ。
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