2004年4月20日

首都 NUUK

人口120人というナルサスアックからヌークに来たら、人の多さ、車の多さ、町のにぎわいに驚いた。 道行く人の足取りも、こころなしか速いような気がするし、信号待ちの車や、人混みも久しぶりだ。 循環バスに30分乗っていると、中心部から住宅地まですべて回りきってしまう市街に、人口15,000人が住んでいる。 15,000人というと、日本では小さな村という規模だけれど、議会、文化施設、教育機関を備え、ショッピングも楽しめ、 しゃれたレストランもあるヌークは、小さくてもコンパクトにまとまった暮らしやすい都市、という印象を受けた。


人混みはひさしぶり。移動はバスとタクシー。

南グリーンランドは、もう雪が溶け、春の気配を感じていたのに、ここヌークは雪が降り積もり、まるで別世界だ。 今年は暖冬で極端に雪が少なく、ヌークの名物スノー・フェスティバルも雪不足のため開催できなかったほどなのに、 2、3週間前に季節はずれの2メートルもの積雪があったそうで、ヌークの人たちも、この異常気象には驚いていた。 (ヌーク・スノーフェスティバルは札幌雪祭りと姉妹関係にあるそうだ。)


雪に埋もれたクリスマスツリー。
2メートルの積雪で窓が開かないほどだったという。


つらら。長いものは1.5メートルはあった。


ミスター・サンタ・クロースを訪ねて

ヌークでは、アレカのいとこのドッテの家に泊まることになった。 ドッテの働くコンサルティング会社の隣には、なんとサンタ・クロースの家があった。 巨大なポストには毎年クリスマスの時期になると世界中の子供たちからの手紙が届くそうだ。 中を見せてもらったら、座りごごちの良さそうなソファがおかれた居間と、クリスマスの品々が飾られたオフィスがあった。 案内してくれたヌーク観光局のフレミングさんによると、サンタ・クロースは今、長いバケーションに行っていて留守、とのことだった。


世界中の子供たちから手紙が届く。


サンタ・クロースさんのソファ。


自治25周年を迎えるHome Rule(ホーム・ルール)

今年の6月21日に、グリーンランドはデンマークの植民地から独立自治領に移行した、自治25周年記念日を迎える。 1979年以来、グリーンランドは外交と防衛以外は、自治政府(Home Rule: ホーム・ルール)が治めている。この25年の間に、 グリーンランド人のナショナル・アイデンティティは、大いに向上し、先住民族のイヌイットも、デンマーク系も総合して、 「グリーンランド人」という共通の意識を持つようになったという。「イヌイット」よりも、 「Greenlander」(グリーンランド人)という表現を、一番頻繁(ひんぱん)に耳にする。

ナルサスアックで知り合ったヤンス・ナパトック(Minister of Infrastructure, Housing and the Environment)に、 ヌークに来たら議会を案内するから、必ず電話をするように言われていた。 私のヌーク滞在は、幸運にも、春と秋の2回、2ヶ月間ずつ開かれる議会とちょうど重なっていた。


Home Rule(ホーム・ルール)の廊下に敷かれたカーペット。
横向きのシロクマはがロゴになっている。

グリーンランドの自治政府は、首相を含めた8人の大臣と31人の議員で構成されている。 今回の議題は、北極圏の気候の変化が伝統的狩猟文化、および経済の基幹である漁業に与える影響と今後の対応策についてだった。 気候の変化によって、動物の個体数ににも変化が現れているということだった。


議題は、気候の変化が伝統的狩猟文化に与える影響について。


議会の真っ最中。背広・ネクタイではなく、カジュアルな服装だった。

議会に出席中のヤンス・ナパトックに代わって、秘書のマイケルが、議会の内部や執務室を案内してくれた。 各部屋をめぐりながら、グリーンランドの各部門の事情に通じた人をつぎつぎに紹介してくれた。 すると、ここが首相の秘書の部屋だよといって、中で働く2人の女性に、私がグリーンランドにいるわけを説明した。 彼女たちは、氷床縦断と現地レポートの二本柱というこの企画にとても興味を持ってくれ、 首相が奥にいるから挨拶をしていったら、ということになった。赤いシャツのハンス・エノクセン首相は、 仕事の手を休めて、にこやかに握手をしてくれた。


Hans Enoksen(ハンス・エノクセン)首相

たまたま、マイケルが紹介してくれた政府関係者の一人、イヴァロ・エゲデは、 今回、グリーンランドの民族、文化についての質問に答えてくれる専門家の一人、スチュアート・ヘンリ先生をよく知る人だった。 スチュアート・ヘンリ先生の日本名は本多俊和(しゅんわ)。イヴァロは、はじめて会う日、日本から研究者が来ると聞いていたのに、 現れたのは金髪碧眼(きんぱつへきがん)のスチュアート先生だったので、本当に驚いたと言っていた。 イヴァロは、彼女のオフィスの隣の部屋を、ヌークにいる間の私専用のオフィスとして使っていいという。 調べ物をしたり、インターネットを使ったり、お茶を飲んだり、自由に使ってね、とのこと。

夕食は、やはりマイケルに紹介された、元議員で現在は官僚として働くマリアンヌとメッテが夕食に誘ってくれた。 この日の議会は延々と夕方6時過ぎまで続き、それでも議論が終了しなかったので翌日に持ち越されることになったと言っていた。 「今日は12時間も、よく働いたわ!」といって、ホテル・ハンス・エゲデの最上階のレストランでステーキを食べつつ、 3ヶ月の旅のこと、グリーンランドの社会問題についてなどを話し、アドバイスをくれた。

佐紀子さんから、グリーンランド人は、厳しい気候の中で、通りがかった人を誰でも家に招き入れた時代の名残か、 とても親切だという話は聞いていた。例えば、旅人を気軽に泊めてくれたりということは珍しくないそうだ。 でも、ここまでとは思わなかった。

首相にいきなりお会いできたり、オフィスを貸してくれたり、ヌークの第一日は驚きの連続だった。 でも、その驚きは、まだほんの序の口だったということを、私はこのあと、つくづく知ることになる。

    


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